フィギュアスケートのアレコレ

フィギュアスケートのアレコレについて語るブログです。

本日、浅田真央選手のお母さまの訃報に接しましたことは、誠に残念でならず、謹んで哀悼の意を表したく思います。

僕は二十歳のときに母を亡くしました。だからどうした?という話なのですが。それで何がわかるわけでもなし。ただこの折に、自分の思いを語りたいだけのことです。

当時は本当にあっという間のことだったので、正直わけがわかりませんでした。それからしばらく経ちますが、いまだにわけがわかりません。どうして母は死んでしまったのだろうか。そんなことわかるはずもないのですが、それでもつい考え込んでしまうときがあるわけです。一体あれは何だったのかと。

結局、母とは言葉を交わすこともできませんでしたし、「そのとき」を決めるのは、われわれ家族の判断でした。もちろん、これ以上は…という医師の診断あってのことですが、でもそうなると、またわけがわからなくなるわけです。このいまの状態は、はたして「生きている」といえるのか。死ぬってどういうことなのだろう。生と死の境界は、こうもあいまいなものなのだと、そのときはじめて知りました。

はじめて知ったことは、そればかりではなく。いちばん強く思い出されるのは、「子」に対する「親」の思いの強さ、深さでしょうか。祖父母は母に謝っていました。自分たちより早く死なせてしまったのは、丈夫に産んでやれなかったせいだと。小説等で同様の一節に出くわすことがありますが、それはフィクションじゃないんですね。普通だとはいわないまでも、それが親のメンタリティというものなのだなと。僕も何もできずに死なせてしまうことを母に謝りましたが、それとは大きく異なるものなのだろう。また翻ってそれは、母の僕に対する思いについて、あらためて感情をめぐらせる契機にもなりました。

それからはそれからで、いろいろ決めなければならないことはあるし、整理しなければならないことはあるしで、自分の気持ちと向き合う暇もない。でもそれがいわゆる「儀式」の効用、とでもいうべきものなのかもしれません。そういう意味で、それら葬礼というのは、家族のためのものであって、しかし家族のためのものではない、という言い方もできるような気がします。人の死に向き合わねばならないのは、何も家族ばかりではないわけで。

でもそれら一連の過程は、決して悪いことばかりではなかったのかなと。その怒涛のように過ぎていった日々の中で、父の、兄弟の、祖父母の、親類の、また母の大勢の友人、知人の皆さんの、母に対する思いに触れることができた。それはいまも僕の胸を温かく灯してくれますし、誇らしくもしてくれます。母の息子でよかったと。

しかし本音を言えば、いまも悲しい。寂しい。でもそれはどうしようもないことなんですね。時が癒してくれるといいますが、誰もがまた否応なくその日常に戻らねばならない、という意味では、それはたしかかもしれない。けれど、その時間の進み方は、あくまで人それぞれ。ただ一つ間違いなくいえることがあるとすれば、何をしても、また何をしなくても、それが誰かの死と向き合わないことにはならない、ということでしょうか。自分の気持ちにどう折り合いをつけていくかは、それもまた人それぞれです。

こういうことをペラペラと話すのは、われながらどうかと思います。疎ましく思われても、無理はありません。でも、たまにちょっと聞いてほしくなるときがあるんです。逆にちょっと聞きたい気持ちになるときだってある。それが人生ですよね?

僕がフィギュアスケートを見るようになったのは、母がファンだったからです。特に伊藤みどりさんが大好きで、引退後のアイスショーにいそいそと僕を連れて行ってくれたことは、いまでもよく覚えています。そんなこともあり、つい自分の経験を重ね合わせてしまいましたが、もちろん、そんなものに大した意味はありません。僕にいまの浅田選手の気持ちなどわかるはずもないし、理解できるわけもない。ただ、それを想像しようと、思いはかろうとすることはできる。それがどんなに的外れなものだとしても。だから…という言い方は成り立たないし、僕がいうまでもないことだとは思うのですが、これからシーズンの一つの節目がやってくることは間違いない、しかしそこで彼女がどういう判断をしようと、それが唯一正しいことなのだと思います。ですからファンとしては、それをただ見守るばかりです。

最後にあらためて、浅田真央選手をはじめ、ご家族の皆さまには心からお悔やみ申し上げます。
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[ 2011/12/10 18:54 ] 11/12終了した大会 | TB(0) | CM(0)
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